天照大御神は、自らの孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を、日向の地へと降ろしました。
それは、国を治めるための力を授けることではなく、天の理(ことわり)を地上に根づかせるための決断でした。
ここから始まるのは、神々の恋の物語であり、同時に、皇統がこの地に生まれるまでの物語です。
天孫降臨 ― 高千穂へ
瓊瓊杵尊は、五伴緒(いつとものお)と呼ばれる、選ばれた五柱の神々と猿田毘古神とともに地上へ向かいます。
雲の道を越え、天と地の境を抜け、一行が降り立ったのは、日向・高千穂。
天に近く、地に深く根ざす場所。
ここは、これから皇統が芽吹く「始まりの地」でした。
瓊瓊杵尊は大地を見渡し、こう告げます。

この地に、天の理を根づかせましょう。
それは征服の宣言ではなく、共に生きるための誓いでした。
運命の出会い ― 木花咲耶姫

高千穂の山々に霧が立ちこめるころ、瓊瓊杵尊は、一人の乙女と出会います。
それが、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)でした。
山の神・大山津見神の娘。
花が咲くように笑い、風に揺れるように立つ、その姿はこの地そのものの生命を映しているかのようでした。
天から降りたばかりの瓊瓊杵尊にとって、彼女は「地上そのもの」との最初の出会いだったのです。
言葉を交わすうち、瓊瓊杵尊の胸に、これまで知らなかった感情が芽生えました。
それは、使命でも、責務でもありません。
ただ、共に在りたいという、純粋な想いでした。
やがて瓊瓊杵尊は、彼女を妻に迎えたいと願い出ます。
それは天と地が、初めて“血”を通わせる瞬間でもありました。
石長比売と「寿命の起源」
父・大山津見神は、この婚姻をただの恋の成就とは考えていませんでした。
彼は、二人の娘をともに差し出します。
妹・木花咲耶姫。
花のように咲き誇り、命をつなぐ神。
そして姉・石長比売(いわながひめ)。
岩のように揺るがず、永遠に続く時間を司る神です。
大山津見神は、静かに語ります。
「二人をともに娶るならば、天孫の命は、岩のように久しく保たれ、花のように栄え、世を満たすであろう。」
それは選択ではなく、 “完全なかたち”の提示でした。
繁栄と永続。
その両方を備えた命こそが、 天と地を結ぶ王統にふさわしい。
しかし、瓊瓊杵尊はためらいます。
石長比売の姿は、彼の目には、美しいとは映りませんでした。
そして彼は、木花咲耶姫だけを娶り、石長比売を送り返してしまいます。
このとき失われたのは、ただ一柱の女神ではありませんでした。
「永遠に続く命」そのものです。
神と人間に命の“終わり”が与えられた
この出来事によって、天孫の命は、岩のような不変を失い、花のように栄えては散るものとなりました。
それは、瓊瓊杵尊一人の問題ではありません。
彼の血を引く、天皇の系譜すべてに影響を及ぼし、ひいては人間という存在そのものに
「寿命」が定められた起源譚と語られます。
神でありながら、永遠ではない。
繁栄するが、終わりを持つ。
それが、この世に生きる人間の姿となったのです。
この選択は、失敗であると同時に、人の世へ降り立つための必然でもありました。
永遠の神ではなく、限りある命を生きる王として。
ここから、皇統は「神の血」だけでなく、「人の運命」を背負うことになるのです。
試される血統 ー 炎の中の出産

ほどなくして、木花咲耶姫は身ごもります。
あまりにも早い懐妊でした。
天の血を引く瓊瓊杵尊の胸に、疑いが生まれます。

それは、本当に私の子なのか。
その言葉は、彼女の誇りを深く傷つけました。
木花咲耶姫は、静かに、しかし強く言います。

ならば、天つ神の子である証を、この身で示しましょう。
彼女は産屋を建て、その周囲に火を放たせました。
炎は天へと立ちのぼり、産屋は瞬く間に火に包まれます。
神々は息をのみました。
「正気ではない!」
「命がもたぬ!」
しかし木花咲耶姫は、一歩も引きませんでした。

この炎で焼けぬ子ならば、天つ神の御子に違いありません。
燃え盛る炎の中で、彼女は三柱の御子を産み落とします。
炎は子を焼かず、命は失われませんでした。
疑いは、ここで完全に断ち切られたのです。
これは奇跡ではありません。
誇りを守るために命を賭けた、母の意志でした。
花の命が残したもの
こうして生まれた命は、永遠ではありません。
けれど、燃えるように生き、強く、確かに次へと受け渡されていく命です。
岩のような不変ではなく、花のような循環を選んだ皇統。
それは、人の世と共に歩むための、避けられぬ選択だったのかもしれません。
次回予告

山の神の血を引く御子たち。
その中から、物語はさらに「海」へと向かいます。
兄弟の確執。
海神の宮。
そして、新たな血の融合。
皇統の物語は、いよいよ人の世へと近づいていきます。


