須佐之男命が出雲の地で八岐大蛇を討ち、櫛名田比売を救ったのち、その血を受け継ぐ新たな神が現れます。
その名は、大穴牟遅(おおなむぢ)
けれど彼は、まだ自らの力を知らぬ“若き神”でした。
弱き神のはじまり ― 八十神の迫害
大穴牟遅は、多くの兄神たちの末の子として生まれました。
兄たちは八十神(やそがみ)と呼ばれ、皆、気性が荒く、力を誇る者ばかり。
その中で大穴牟遅は、ひときわ穏やかで、静かな神でした。
兄たちが狩りや戦に興じるときも、 彼は黙って荷物を背負い、後ろをついて歩くだけ。
力もなく、争いを好まぬ彼を、兄たちは笑いました。
しかし、彼の中にあったのは、誰よりも深い“思いやり”という強さでした。
その優しさが、やがて運命を動かすことになるのです。
因幡の白兎 ― 優しき心が運命を変える

ある日、八十神たちは因幡の国に向かっていました。
美しい姫、八上比売(やがみひめ)を妻に迎えるためです。
その途中、海辺で皮を剥がれ、苦しむ一匹の兎を見つけました。
兎は風に当たりながら、痛みに震えていました。
兄たちはそれを見て嘲笑し、言います。
「海の塩水で体を洗って、風に当たるがよい。」
兎は言葉を信じてその通りにしました。
しかし、傷口はさらに焼けるように痛み、苦しみが増すばかりでした。
やがて最後に通りかかったのが、荷物を担ぐ大穴牟遅。
彼はしゃがみ込み、兎に優しく声をかけます。

どうしてこんな姿に?
ゆっくりでいい、話してごらん。
兎は涙ながらに、サメたちを騙した罰で皮を剥がされたと告げました。
大穴牟遅は静かに頷き、こう言いました。

真水で体を洗い、蒲(がま)の穂の花粉を敷いて、その上で休みなさい。
兎はその通りにし、やがて皮が元通りになりました。
そして微笑みながら言いました。
「あなたこそ、八上比売に選ばれるお方です。」
その言葉の通り、八上比売は八十神たちではなく、大穴牟遅を選びました。
それは、優しさが初めて世界を動かした瞬間でした。
嫉妬と死 ― 八十神の罠
しかし、その出来事が兄神たちの怒りを買います。
嫉妬に燃えた八十神は、八十神を伯耆の山へ連れ出しました。
「赤い猪がいる。お前が捕まえろ。」
彼らが山の上から転がしたのは、火で焼けた真っ赤な大石でした。
その熱と衝撃に包まれ、大穴牟遅は命を落とします。
母神は嘆き、天に祈りました。
その声を聞いた神産巣日神(かみむすびのかみ)は、赤貝の神・𧏛貝比賣(キサガイヒメ)と蛤の神・蛤貝比売(ウムギヒメ)を遣わし、彼の体を癒しました。
けれど八十神は再び彼を殺そうとします。
今度は大木の裂け目に押し込み、楔を抜いて圧殺したのです。
再び死んだ彼を、母神は涙で包み、再び蘇らせました。
二度の死と再生。
それは、神が彼に与えた“試練の儀式”のようでした。
根の国への旅 ― 試練のはじまり
母神は静かに告げます。
「おまえはこのままでは滅ぼされる。
遠く“根の堅州国(ねのかたすくに)”へ行きなさい。
そこには、おまえの祖・須佐之男命がいる。」
大穴牟遅は旅立ちます。
夜と地の境を越え、闇と光のあわいを歩きながら。
やがて、火のような光が漂う国にたどり着きました。
そこは黄泉にも似た国の「根の国」
その中央に、須佐之男命が座していました。
須勢理毘売命との誓い ― 愛と智の継承

その傍らに、美しい娘が立っていました。
名は須勢理毘売命(スセリビメ)
須佐之男命の娘です。
二人は出会った瞬間に、心を通わせました。
しかし、父である須佐之男命は怒り、
「地上の醜男(あしはらのしこを)!」と罵り、数々の命がけの試練を与えました。
蛇の室。
ムカデと蜂の部屋。
燃え広がる火の野原。
死を覚悟するほどの苦難を、大穴牟遅は須勢理毘売命の知恵と勇気に支えられて乗り越えていきます。
やがて、須佐之男命が眠る夜。
大穴牟遅は須勢理毘売命を背負い、神宝「生大刀(いくたち)」と「生弓矢(いくゆみや)」、 そして「天詔琴(あめののりごと)」を手に、根の国を後にしました。
目覚めた須佐之男命は激しく叫びながらも、遠く逃げる彼に声を投げかけました。

大穴牟遅よ!
大国主と名のれ!
その剣と弓で八十神を退け、天に届く宮を建てて暮らせ!
須勢理毘売命を正妻とせよ!
その言葉は、試練を超えた者に与えられる“神の承認”でした。
こうして、若き神は「大国主」となり、出雲の地を治める使命を授かったのです。
次回予告

大国主は地上に戻り、国を築き始めます。
その傍らに現れたのは
掌に乗るほどの小さな神「少名毘古那(スクナビコナ)」
二柱の出会いが、“人が生きる国”の始まりとなります。


