前回の記事で取り上げた「国産み神話」では、日本列島がどのように誕生したのかを大きな流れとして紹介しました。
しかし、その背後には伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱が歩んだ、細やかで奥深い物語が隠されています。
天の神々から使命を受けた二柱は、天の沼矛を手に混沌の海をかき混ぜ、やがて最初の島・淤能碁呂島に降り立ちます。
けれども、最初の婚姻の儀式は失敗に終わり、不完全な子が生まれてしまうのでした……。
今回は、国産みの「概要」ではなく、その詳細。
二柱の会話や行い、そして失敗とやり直しの過程を描いた伊邪那岐命・伊邪那美命の婚姻の物語を紐解いていきます。
天の沼矛とオノゴロ島

二柱に与えられたのは、一本の神聖な矛「天の沼矛(あめのぬぼこ)」。
伊邪那岐命と伊邪那美命は、天上界から天の浮橋(あめのうきはし)に立ち、下界を見下ろしました。
そこにはまだ大地はなく、ただドロドロとした海のようなものが広がるばかりでした。
二柱は矛を海に差し入れ、「グルグル」と掻き混ぜます。
そのとき、二人の口から不思議な言葉が発せられました。
「コオロコオロ……」
その言葉に応じるかのように、矛の先から滴った塩が固まり、ひとつの島となって浮かび上がりました。
それが最初の島、淤能碁呂島(おのごろじま)です。
やがて二柱はその島に降り立ち、国生みの拠点としました。
天の御柱と婚姻の儀式
淤能碁呂島の中央には、天に届くほどの天の御柱(あめのみはしら)が建てられ、その傍らには広大な八尋殿(やひろどの)が築かれました。
二柱は互いの身体を確かめ合い、伊邪那岐命は言いました。

我が身には、ところ余る部分がある。
伊邪那美命は答えました。

我が身には、ところ足りぬ部分がある。

では、その余るものを足りぬところに合わせて、国を産もうではないか。
そうして二柱は、御柱を巡る婚姻の儀式を行うことになりました。
伊邪那岐命は左回りに、伊邪那美命は右回りに柱を巡り、出会ったところで言葉を交わします。
先に声を発したのは伊邪那美命。

まぁ、なんて立派なお方でしょう。
伊邪那岐命も応じましたが、その順序は正しくなかったのです。
蛭子と淡島 ― 失敗の子

最初に生まれたのは不完全な子、「蛭子(ひるこ)」でした。
手足がうまく育たず、歩くこともできません。二柱は悲しみながらも、この子を葦舟に乗せ、海へと流しました。
次に生まれたのは淡島(あわしま)という子。
けれども、この子も正しい子としては数えられませんでした。
なぜうまくいかないのか…
二柱は悩み、再び高天原に戻って神々に相談しました。
神々は静かに答えます。

女神から先に声をかけたのが原因である。
次は男神から声をかけよ。
再挑戦と大八島の誕生
二柱は再びオノゴロ島へ戻り、儀式をやり直しました。
今度は伊邪那岐命が先に声を発します。

あぁ、なんと美しいお方だ。
伊邪那美命が応じ、今回は正しい結びが成されました。
すると、次々と島々が生まれていきます。
まずは淡路島、次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして本州。
こうして八つの大きな島「大八島(おおやしま)」が誕生しました。
さらに小豆島や吉備の児島、大島などの島々も次々と生まれ、日本列島は少しずつその姿を整えていきました。
物語の補足・解説
物語の中で重要な役割を果たすのが、「コオロコオロ」という言葉です。
矛で海をかき混ぜるとき、二柱はただの動作ではなく「固まれ、固まれ」という祈りの言葉を使いました。
古代の人々は、言葉に宿る力、「言霊(ことだま)」によって世界が形を持つと信じていたのです。
また、伊邪那岐命・伊邪那美命の呼び名に「命(みこと)」がつくのも特徴です。
これは、ただの存在としての神ではなく、「命を帯びて使命を果たす神」という意味を持っています。
国を生み固めるという大業の始まりにふさわしい称号だったのです。
婚姻の儀式において、男神が先に声を発するべきところを女神が先にしてしまったために、失敗の子が生まれたとされます。
ここにも古代の陰陽思想が反映されています。
陽(男)が先、陰(女)が後という順序が秩序そのものであり、その順序の乱れが「不完全さ」を生んだのです。
そして蛭子や淡島は、ただ「失敗の子」として終わっているわけではありません。
蛭子は後に「恵比寿神」とされ、福をもたらす神として祀られるようになります。
淡島もまた和歌山県の加太・淡島神社などで信仰を集め、縁結びや安産の神として祀られています。
失敗や不完全さも、やがて新しい信仰や文化の源となっていったのです。
そして、大八島の成立は「日本は神々によって直接生み出された国」という意識を強く根づかせました。
これこそが神話を超え、神道や皇統神話の基盤を支える思想となっていったのです。
まとめ
伊邪那岐と伊邪那美の物語は、最初の失敗から学び、正しい秩序をもって国土を形づくった物語です。
「言葉の力」「順序と秩序」「失敗の意味」、そのすべてが、日本人の精神文化の礎となりました。
そして物語は続きます。
二柱はやがて、山や川、火や風といった自然神を次々と生み出していく「神産み」へと歩みを進めるのです。


