因幡の白兎を救い、多くの試練を越えて国を育てた大国主命。
しかし、少名毘古那神が去ったのち、地上には天の影が落ち始める。
高天原からの二人の使者、天穂日命の沈黙、天若日子の裏切りと死。
交渉は失敗し、ついに“武の神”が動き出そうとしていた。
※本記事は、特定の信仰や解釈を断定するものではなく、日本神話や神社文化を理解するための参考情報としてまとめています。
稲佐の浜に降り立つ、雷の神
出雲の海辺、稲佐の浜。
白い波が寄せては返し、夕陽が海を赤く染めていました。
そのとき、波間から一本の剣が、ぎらりと光りながら立ち上がりました。
剣は逆さに突き立てられ、その切っ先の上に、一柱の神がどかっと腰をおろします。
建御雷神(タケミカヅチノカミ)です。
雷をまとい、戦を司る武神です。

葦原中国(あしはらのなかつくに)を、天照大御神たち天津神の御子にゆずるつもりはあるか。
潮騒の音がやみ、出雲の国全体が、その問いに答えを出すのを待っているようでした。
大国主命と、二人の息子
その知らせを受けて現れたのは、この国の王、大国主命(オオクニヌシノミコト)。
けれど彼は、すぐには答えませんでした。
代わりに、静かにこう告げます。

この国の行く末は、私ひとりでは決められません。まずは、私の子どもたちの意見を聞きましょう。
最初に呼ばれたのは、事代主神(コトシロヌシノカミ)。
穏やかで、神託をつかさどる神です。
彼は、美保の岬で釣りをしている最中でしたが、天津神からの使者が来たと聞くと、すぐに船をこいで戻ってきました。
そして、海風を受けながら、こう言います。
「これは、天津神のお考え。恐れ多いことです。この国を、天の御子におゆずりしましょう。」
そう言うと、事代主神は自らの船をくるりとひっくり返し、その下に身を隠してしまいました。
もはや、国ゆずりに反対するつもりがないことを、
自分の姿ごと示したのです。
しかし、もう一人の息子は違いました。
それが、建御名方神(タケミナカタ)です。
「影の武神」建御名方神、浜辺に立つ
建御名方神が姿を現したとき、出雲の空気がぐっと重くなりました。
大きな千引の石を、まるで木の枝でも持つかのように、軽々と片手で持ち上げながら現れたのです。

ここで何をこそこそ話している。 その国、ゆずれというのなら、まずはこの私と力をくらべてからにするがよい!
彼は、まさに「出雲の武の象徴」。
後に信濃・諏訪で軍神として崇められる、その素質がにじみ出ていました。
建御雷神は、静かに立ち上がります。
雷のような眼差しで建御名方神を見つめ、手を差し出しました。

よかろう。まずは、おまえの力を見せてみよ。
稲佐の浜の力比べ ― 相撲のはじまり

建御名方神が、
建御雷神の手をがしっとつかんだ、その瞬間。
ぞくり、と空気が変わりました。
建御雷神の腕は、
たちまち冷えきった氷柱のように固くなり、
次の瞬間には鋭い剣の刃のように、とがった気配を放ちました。
「……なんだ、この力は……!」
建御名方神は思わず、手を放してしまいます。
今度は建御雷神が、
建御名方神の腕をつかみました。
その瞬間、
建御名方神のたくましい腕は、若い葦の茎のように、あっさりと握りつぶされてしまいます。
「ぐっ……!」
投げ飛ばされた建御名方神の身体が、砂浜を転がり、波打ち際まで吹き飛びました。
この力比べは、のちに「相撲の起源」とも語られる場面です。
神々の国の、最初の「力くらべ」だったのです。
諏訪へ逃れた神 ―― もうひとつの物語へ
建御名方神は、敗北を悟りました。
彼はそのまま北へ、北へと逃れていきます。
山を越え、谷を越え、たどり着いた先は、信濃国の州羽の海――諏訪湖。
そこまで追い詰められた建御名方神は、ついにひざまずいて誓いました。

恐れ入りました。私は、この諏訪の地からは二度と出ません。父や兄の言葉に背きません。この国を、天津神の御子におゆずりします。
こうして建御名方神は、諏訪の地に鎮まることになります。
のちに諏訪大社では、建御名方神(諏訪明神)は「軍神」として、武士や狩人たちに熱く信仰されていきます。
中央の神話では「敗れた神」として描かれながら、
諏訪では「この地を切りひらいた英雄神」として語られていく。
ここに、建御名方神という神の二つの顔が生まれていくのです。
大国主命、国をゆずる決意
建御名方神と事代主。
二人の息子の行く末を見届けた大国主命は、静かに浜辺に立ちました。
波音だけが聞こえる中、彼は建御雷神たちに向かって告げます。

もし、私がここで抵抗すれば、この国の神々も、皆立ちあがって戦うでしょう。
しかし私が身を引くのなら、この国に逆らう神は、もういなくなります。
それは、長く国づくりに尽くしてきた王としての、最後の決断でした。
そして大国主命は、ひとつだけ願いを伝えます。

どうか、この国を治める天の御子のために、底の岩まで柱を深く打ち立て、
高天原に届くほどの千木を高く掲げた、りっぱな宮を建ててください。
そのように、この国を正しく治めてくださるのなら、私はこの国の表舞台から身を引きましょう。
この願いは、のちに「出雲大社の起源」と重ねられて語られていきます。
高くそびえる社殿は、国をゆずった王への敬意であり、「天と地、両方の力でこの国を守る」という誓いのかたちでもあったのです。
表から退き、見えない世界の主へ

こうして、葦原中国の支配権は天津神へと渡り、大国主命は国づくりの王から、目に見えない世界を司る「幽冥主宰の大神」へと変わっていきます。
表舞台の政治(あらわのこと)は天孫に任せ、自らは「人と人」「神と人」との“縁”を結ぶ神として、出雲の地に鎮まることになったのです。
だからこそ、今も出雲大社は「縁結びの神社」として知られています。
国を手放したからこそ、かえってすべてを結び、見守る存在になった。
大国主命の物語は、そんな「創造と、手放し」の物語でもあるのです。
次回予告

「天から降りる系譜 ― 天孫降臨への道」
国をゆずられたあとの葦原中国に、ついに天の神々の御子が降りてきます。
高天原からの新しい支配者たちの物語。
次回は、「天孫降臨」へとつながる一歩をたどっていきます。


