優しさをもって因幡の白兎を救い、八十神の迫害を乗り越えた大国主命(オオクニヌシ)
少名毘古那神との国作りによって、葦原中国は豊かに息づく“生命の国”へと姿を変えました。
しかし、少名毘古那神が海の彼方へ旅立った今、地上には静かに、新たな影が降り始めていました。
※本記事は、特定の信仰や解釈を断定するものではなく、日本神話や神社文化を理解するための参考情報としてまとめています。
第一の使者『天穂日命』沈黙の三年
高天原(たかあまはら)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)の繁栄が気になっていました。
「大国主命の国は、誰の国か。」
「天津神(あまつかみ)の御心に、従っているのか。」
議論の末、天照大御神(アマテラスオオミカミ)と高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は、まず言葉で事を治めようとします。
「争いではなく、“言向け和す”ことこそ、天の道」
そこで派遣されたのが、天穂日命(アメノホヒ)、知恵と外交の才を持つ神でした。
天穂日命は稲佐の浜に降り立ち、大国主命のもとへ向かいます。
しかし……
彼は大国主の人柄と力に魅了され、そのまま地上の政(まつりごと)に取り込まれていきました。
そして三年…
天に戻ることもなく、報告もなく、ただ静かに、地上の影の中へと消えていったのです。
高天原の静寂は、やがてざわめきに変わりました。
第二の使者『天若日子』甘い影の誘惑
次に選ばれたのは、若く、美しく、武にも秀でた神、天若日子(アメノワカヒコ)
天若日子へ高天原は厳しく命じます。
「地上の様子を探り、天つ神の御心に従うよう、言向け和しなさい。」
天若日子は誇らしく頷き、天の弓と矢を携えて、大地へと降りました。
しかし彼もまた、地上の美しさに心を奪われてしまいます。
彼が出会ったのは、大国主命の娘・下照比売(シタテルヒメ)
その名の通り、 地上を照らす光のような姫。
天若日子はひと目で心を奪われ、姫もまた、彼のまっすぐな心に惹かれました。
二人は結ばれ、天若日子は高天原から託された使命を、いつしか忘れていきました。
「いまさら天に戻る必要があるだろうか…」
心には甘い影が落ち、その影はやがて、高天原そのものに背を向けさせていきます。
返し矢の死 ― 影が射抜いたもの

高天原は再び沈黙を破りました。
「天若日子は、なぜ報告をしないのだ!」
討問のため、天は一羽の雉(キジ)、鳴女(ナキメ)を地上へ送ります。

天若日子さま。天照大御神は、なぜ戻らぬのかと案じておられます。
しかし、天若日子の胸を支配していたのは恐れでした。
「もし戻れば、罰されるのではないか…」
その恐れが、彼の手を動かします。
シュッ。
天から授かった弓がしなり、矢が放たれました。
鳴女は空へ消え、矢はそのまま天まで届きました。
天照大御神はその矢を見て、静かに言いました。
「この矢に、悪しき心があるならば…その者に返りなさい。」
矢は光をまとって地上へ落ち、天若日子の胸を射抜きました。
美しく、そしてあまりに儚い最期でした。
大国主命はその死を悼み、彼のために喪屋を建てて弔いました。
その屋根に、夜明け前の白い風が吹き抜けました。
天の影、地上に落ちる
天穂日命、沈黙。
天若日子、堕落と死。
天の使者は二人とも地上で影となり、高天原と葦原中国の対立は、もはや避けられないものとなりました。
天照大御神は静かに告げます。
「二度の使者は果たされなかった。ならば次は武の神を遣わねばならぬ。」
出雲の海は、その気配を感じて波を揺らします。
葦原中国にはまだ、二人の使者の影が色濃く残っていました。
けれどその影は、やがて新しい光を呼ぶための前触れでもあったのです。
次回予告

稲佐の浜に、稲妻のような光が降り立つ。
建御雷神(タケミカヅチ)降臨。
国譲りの行方を決める、最も緊迫した対峙が幕を開けます。


