これまでの記事では、まず『古事記』という書物の成り立ちから入り、神道や日本の根底にある世界観を整理してきました。
と順を追って理解を深めていただき…
ようやく「物語の本筋」へ入る準備が整いました。
そして、いよいよ今回から『古事記で語られる始まりの神話』をお届けします。
第一幕は、“世界が生まれる瞬間”、まさに神話の核ともいえる天地開闢(てんちかいびゃく)の物語です。
この神話は、ただの創生譚ではありません。
混沌とした世界に秩序が生まれ、見えない神々がその基盤を築いている、壮大なプロローグです。
そして何より、“この物語こそが日本人の自然観・言霊信仰・神道のルーツ”ともいえる重要なエピソード。
今回はそんな「始まりの物語」に耳を澄ませながら、世界がどのように形づくられ、神々はどんな思いで現れたのかを、旅するように紐解いていきましょう。
それでは、『古事記』天地開闢、世界の始まりを描く物語、スタートです!
始まりの神

まだ天も地も分かれておらず、光も影も、昼も夜も存在しなかった頃…
世界は濁った水のように、混沌とした「ひとつの塊」として漂っていました。
やがて、その静寂の中に、ぽつりと「気配」が生まれます。
それは姿かたちを持たず、ただ在るだけの存在でした…
最初に現れたのは「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」
宇宙の中心にいて、宇宙を司る根源の神。
すべての始まりを見届ける「大いなる存在、大いなる静けさ」ともいえる存在です。
天之御中主神に続いて、
「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」
「神産巣日神(かみむすひのかみ)」と現れます。
この二柱の神様は「むすひ」と呼ばれる“生み出す力”を宿した神々です。
芽吹き、結び、育むなどのエネルギーを象徴していました。
三柱の神々は、人の目に映る姿を持ちません。
名を残してはすぐに姿を隠し、ただ世界の成長を静かに支えていく存在。
後に「造化三神」と呼ばれる、この神々の誕生こそ、天地が分かれる始まりでした。
そして、混沌とした世界は、少しずつ変化を始めていきます。
重い物は下へ沈み、大地となりました。
軽い物は上へ昇り、天となりました。
この分かれ目が「天地開闢」
世界の夜明けでした。
造化三神の神々が現れた後、さらに二柱の神が現れます。
- 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
…若々しい生命力を象徴する神。 - 天之常立神(あめのとこたちのかみ)
…天が揺るがず永遠に立ち続けることを象徴する神。
これら五柱をまとめて「別天津神(ことあまつかみ)」と呼びます。
古事記の天地開闢とは?
古事記が描く天地創造は、他の神話と比べると大きな特徴があります。
- 西洋の神話:神が天地を一瞬で創造する(例:旧約聖書の「光あれ」)
- 日本神話:天地は自然に分かれていき、その流れの中に神々が現れる。
つまり、日本人の自然観は「人間や紙が自然を支配する」のではなく、「自然そのものが神聖であり、その営みに神が寄り添っている」という考え方に根ざしています。
この感覚は、今も日本の神社に色濃く残っています。

鳥居をくぐった先に鎮まるのは、必ずしも立派な建物ではなく、
ときには山そのもの、森、岩、滝が「神」とされます。
天地が分かれたその瞬間から「自然=神」という意識が息づいていたのです。
現代へのメッセージ
この神話が私たちに伝えるもの…
それは「秩序は混沌から生まれる」という真理ではないでしょうか。
人生の中でも、未来が見えず不安や迷いに包まれるときがあります。
しかし天地開闢の物語は、私たちにこう伝えているような気がします。
たとえ混乱の中にあっても、やがて必ず形は整い、道は開ける。
また「むすひ」の神々は「つながり」と「再生」も象徴しています。
人と人との縁、自然との調和、新しいものを生み出す力は、いつの時代も変わらず私たちの中に息づいています。
だからこそ今を生きる人々は、この神話を読み解くことで、
「自然と共にある生き方」「結びの力を信じる心」を思い出すことができるのです。
次回予告
天地開闢の神話は、ただの昔話ではなく、
自然と調和して生きてきた日本人の精神を今に伝える物語です。
混沌を恐れず、その中から芽生える“むすひ”の力を信じること。
それが、この古代の物語が現代に贈る大きなメッセージといえるでしょう。

次回は天地開闢の後に続く、神道に今も影響を残す「別天津神」と「神世七代」の神々。
そしてついに、国生みへとつながる伊邪那岐・伊邪那美の登場です。
その橋渡しとなる「神世七代」の物語をひも解いていきます。



